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東京高等裁判所 平成7年(う)819号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

一  本件控訴の趣意は、弁護人小川英長作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

二  所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、原判決は、「被告人は、平成六年八月一八日午後八時四〇分過ぎころ、横浜市中区《番地略》甲野荘二〇一号室A方において、先に同人に貸与したビデオテープの件で同人と口論の挙句、やにわに平手で同人の顔面を殴打し、更に『お前テープをすり替えただろう。男のけじめをつけろ。』などと語気鋭く申し向け、もって同人に対し暴行・脅迫を加えたものである。」と認定判示しているが、本件では、被告人がAに貸与したビデオテープにつき、貸与したものと異なるものがAから被告人に返還されたかどうかという点が問題となっている。そして、被告人は、Aがこれをすり替えて返還したと述べているのに対し、Aは、全部返還したと証言しており、被告人の述べるとおりだとすると、Aの証言は信用性に欠けることになるにもかかわらず、原審は、その点についての審理を尽くさず、被告人が、右暴行、脅迫のいずれについても無罪であるのに、右のとおり有罪の認定をしたものであるから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りがあり、ひいては、判決に理由を付さない違法があるというのである。

三1  そこで、原審記録を調査して検討すると、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、まずもって、原判決の罪となるべき事実中暴行の点(以下「本件暴行」という。)、すなわち、被告人が、平成六年八月一八日午後八時四〇分過ぎころ、原判示のA方において、平手で同人(当時四三歳)の顔面を殴打したという事実が優に肯認できることは、以下に説示するとおりである。

2  この点まず、Aは、原審公判廷において証人として尋問を受けた際、被害状況につき、原判示の日時場所において、被告人から、とぼけんじゃないと言って、右の頬を平手で一発殴られたという趣旨の証言をしている。そして、B及びCも原審公判廷においてそれぞれ証人として尋問を受けた際、Bは、Aの身体のどこに被告人の手が当たったかまでは明言していないものの、被告人が右手の平手でAを殴った旨の証言をし、Cも、被告人がAを殴った状況そのものは目撃していないとしながらも、同人が右頬を押さえていたので、被告人に殴られたように思う旨の証言をしている。関係各証拠によれば、右BとCの両名は、本件当日、被告人に同行してA方に赴いた者で、同人とはこの日が初対面であったことが認められ、このような関係にあるBとCが、両名とも、Aの証言する被害状況に概ね符合する内容の証言をしていること自体、Aの右証言の信用性を裏付けるものといえる。加えて、関係各証拠によれば、本件の客観的状況として、次のような事実が認められる。すなわち、被告人は、Aとは職場の同僚であって、同人にいわゆるアダルトビデオを貸していたところ、同人から返還されたものが画質の悪いもののように見え、そのため同人にダビングしたテープにすり替えられたのではないかという疑念を抱き、本件当日、同人を問い詰めるため、BとCを同道してA方に赴き、同人に対し、「お前テープをすり替えただろう」などと激しく責め立てた。しかし、Aがこれを否定したため、被告人と同人との間で押し問答のような状態が続き、その間、同人が、ダビングしたテープを同僚のDに渡しているという趣旨のことを言ったため、電話で同人に確かめることになり、被告人が電話口に出て直接Dに尋ねたところ、同人の答えは、Aからテープは借りていないというものであったことから、被告人が同人に対して激しく腹を立てるという状況に至ったことが窺われる。そして、このような状況ないし経過を前提に、被告人のAに対する心情等に照らして考えると、Aが証言するような右被害状況は、自然な流れに沿うものであって、十分に起こり得る事態と考えられる。これに対し、被告人は、検察官に対する平成六年九月九日付け及び同月一二日付け各供述調書(原審検察官請求証拠番号乙第三号及び乙第四号)中で、自分の指がAのメガネのフレームと頭に軽く触っただけで、同人を殴ってはいないなどという趣旨の供述をし、また、原審公判廷においては、自分は、親が子を叱るように手を出したが、Aは避けたので、自分の手が同人の顔に当たったことはないなどという趣旨の供述をしている。しかし、関係各証拠により認められる右の客観的状況などに照らしてみても、被告人の右供述内容は、いずれも不自然であって、到底信用することが困難である。なお、被告人がAに貸したビデオテープを同人がすり替えて被告人に返還したというような事実があったのかどうかについては、必ずしも明らかではないが、この点、仮にそのような事実があったとしても(ちなみに、被告人は、そのように信じていたからこそ、本件当日、Aに対して手荒な言動に及んだことが窺えるのであるが)、そのことから直ちに、被害状況に関するAの右証言の信用性が減殺されるわけではなく、また、それにより本件暴行に関する原判決の認定が左右されるものでもない。

以上のとおり、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、本件暴行について原判決が認定判示するところは、合理的な疑いを越えて肯認することができ、当審における事実取調べの結果を合わせて検討しても、この点につき原判決には、所論指摘のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りはなく、ひいては理由不備の違法もなく、また、原審の訴訟手続に審理不尽の違法がないことも明らかである。

3  次に、原判決の罪となるべき事実中脅迫の点(以下「本件脅迫」という。)、すなわち、被告人が、前記日時場所において、Aに対し、「お前テープをすり替えただろう。男のけじめをつけろ」などと語気鋭く申し向けたという事実について検討する。

まず、Aは、原審公判廷において証人として尋問を受けた際、被告人から本件暴行に及ばれた直後ころ、「男のけじめをつけろ」などと被告人に語気鋭く言われたという趣旨の証言をしている。これに対し、被告人も、前掲検察官に対する各供述調書及び原審公判廷における供述中で、このような内容の発言をしたことを概ね認める趣旨の供述をしている。したがって、Aの右証言や被告人の右供述に、前記2で認定したような本件当時の客観的状況や本件暴行の状況などをも合わせ考えると、被告人が、Aに対して本件暴行に及んだ直後ころ、引き続き、「男のけじめをつけろ」と語気鋭くAに申し向けたことは十分肯認し得る。そして、この「男のけじめをつけろ」と語気鋭く申し向けたことは、要するに、被告人が、Aに対し、被告人から借りたオリジナルのビデオテープか、これに代わるものを被告人に渡すという、きちんとした対応を求め、被告人のこの要求に従わなければ、本件暴行に引き続いて、相手の身体等に対して同様の暴行を加える旨の気勢を示したものと解される。原判決の罪となるべき事実中のこの点に関する判示には、やや適切さに欠ける点もあるが、右のような意味において、この「男のけじめをつけろ」という言葉を摘示したものと考えられる。

ところで、相手に暴行を加えた後に、引き続き、自己の要求に従わなければなお相手の身体等に同内容の危害を加える旨の気勢を示した場合には、その脅迫行為は、先の暴行罪によって包括的に評価されて、別個の罪を構成しないものと解するのが相当であるところ、右にみたとおり、Aに対する本件脅迫は、被告人が、Aに加えた本件暴行に引き続き、「男のけじめをつけろ」と語気鋭く申し向けて、同内容の危害を同人に加える旨の気勢を示したものと認められるのであるから、本件脅迫は、別個の罪を構成しないものと解すべきである。

したがって結局、本件脅迫につき、本件暴行罪とは併合罪の関係にたつ別個の脅迫罪を構成するとして、これを認定判示した原判決は、この点において事実を誤認したものというべきであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は、右の限度において理由があり、原判示は、破棄を免れない。

四  よって、刑訴法三九七条一項、三八二条を適用して原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、更に被告事件について判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、平成六年八月一八日午後八時四〇分過ぎころ、横浜市中区《番地略》甲野荘二〇一号室A方において、同人(当時四三歳)に対し、平手でその顔面を殴打する暴行を加えたものである。

(証拠の標目)《略》

(本件につき脅迫罪を認定しなかった理由)

本件脅迫に係る公訴事実は、原判決が罪となるべき事実中に脅迫の事実として認定判示しているように、被告人が、右同日時ころ、同場所において、Aに対し、「お前テープをすり替えただろう。男のけじめをつけろ」などと語気鋭く申し向けて、その身体等に危害を加える旨の気勢を示して脅迫したというものであるところ、前記三3で説示したとおり、外形的にはこの事実を十分肯認することができる。しかし、右の行為は、本件暴行罪によって包括的に評価される結果、本件暴行罪とは別に罪を構成しないものと解されるので、本件脅迫に係る公訴事実につき、これを有罪とは認定しないが、主文において、無罪の言渡しをすることはしない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二〇八条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で処断すべきところ、本件犯行の態様、被害の程度、犯行の動機、経緯、被告人の前科、生活状況等の諸情状を総合考慮し、被告人を罰金一五万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審及び当審の訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本時夫 裁判官 円井義弘 裁判官 岡田雄一)

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